取り残された駐在妻の現状

子育て

日本に取り残された私たち

今回は少し、今ある状況のことを記したいと思います。

私たち家族は2020年3月から海外に駐在予定で、2020年2月に主人が先に渡航し、引っ越し等の後始末をする故、1ヶ月遅れて家族(長男(当時3歳・次男0歳))と共に3月末に渡航予定でした。

神奈川県で住んでいた賃貸物件を解約し、車を売り(1年ほどしか乗っていないのに…)、海外駐在に備え、家財道具を(トランクルームに保存する荷物・海外に送る荷物(船便・航空便)・実家に送る荷物)仕分けし、実家の荷物を受け取るために、半月ほど実家に身を寄せることにしたのでした。

しかし、状況が刻々と変化し、私たちが実家に戻った頃には、実態がわからない未確認コロナが深刻化し、実態がわからないため、皆パンデミック状態だった。まだ、3月中旬に渡航していたら、入国はできたかもしれないけれど、もう主人は、日本に帰国することはできず、渡航は、わたしと幼子2人で入国せざるを得なくなりました。違う国の駐在経験はあったものの、今回は初めての国の駐在だったので、不安があったのもあります。

「もう少し落ち着いてから渡航しよう。」と、決め、何気なく始まった実家生活。

その決断が正しかったのか、何が正解だったかはわからない。

ただ、離れて…1年9ヶ月が経とうとしている。

息子の幼稚園探し

3月末に渡航予定をしていたので、幼稚園も見つけておらず…

(そもそも駐在が11月下旬に決まり、神奈川県での幼稚園について、願書も提出し、受験を終え、入園金まで払い終えていた状態で、入園できなくなったのに、入園金は半分以上返ってこなかった…私立幼稚園鬼すぎる!)

実家近くの幼稚園がまだ、こども園に変わり始めたところで、2年保育が当たり前の状態でした。

正直、こんなに長く日本にいると思っていなかったのもあり、幼稚園に少しだけ行ってお別れするのも可哀想だし、3年間家で見てきたのもあり、少しの間家でみてもいいか。なんて当時は思っていたのもあります。(この時の自分に言ってあげたい!絶対やめとけ〜!笑)

知り合いの美容院に行ったときに、店員さんが、他に駐在している友達がいて、一時帰国の時とかでも、幼稚園入れてもらったりしてるし、幼稚園だけではなく、こども園とか検討してみたら?という一言で、探し始めた幼稚園探し。

こども園の定義がイマイチわかっていなかったのですが、幼稚園と保育所の機能や特徴をあわせ持ち、地域の子育て支援も行う施設ということで、3年保育そして給食、定員も増えて、いいことづくめのこども園が実家付近にあることが判明し、3月末に滑り込みで入園手続きをすることができました♩

幼稚園にも、コロナが落ち着き次第、渡航する旨を伝え(そもそも1ヶ月くらいの予定です。と最初伝えていました。今や、1年半通っています笑)、長くいるつもりもなかったので、体操服も買わず備品もお借りしていたんです笑。

こんなことになるとは、私たちも、幼稚園側もわかっていなかったんでしょう…。

ただ、結果、長男もわたしも、地元の公立こども園に入園できて、本当によかったと思います。

初めての集団生活を日本で経験できたこと、同じ歳のお友達ができたこと、いろんなことに挑戦する姿勢を身につけられたこと、給食でいろんな食材が食べれるようになったこと。コロナで先が見えない状態が続いていますが、悪いことばかりではなかったかな。

息子たちの成長

ハイハイしていた次男は立派に意思疎通できる存在に。

パパは一時帰国すら一度もできず、わたしたち家族は、1年9ヶ月の間離れ離れになってしまいました。

正直、息子たちがどう思っているのか、直接的に聞いたことはありません。

長男は、5歳になって、しっかりと思ったことも言えるようになっているし、状況もよく理解している方だと思うし、「パパに会いたい」と普通に言えると思うけれど、(言わないような環境にしてしまっているのか、今の状況に不満もなく、なんとも思っていないのか)、優しい子なので、わたしたちに気遣って言わないようにしているのか、本音はわからないけれど、一度も聞いたことがなありません。

次男がパパと最後にあったのは、8ヶ月の時で、まだハイハイをしていた頃、きっとパパの顔なんて覚えていないだろう。今や、2歳をすぎ、イヤイヤ期に突入し、意思疎通もはかれるようになってきました。テレビ電話でしか顔を見ないから、画面の中の人だと認識しているのではないだろうか。それでも、「パパ、〇〇(国名)」とおしゃべりするので、パパは国の名前だと思っているのかもしれない。もしくは、理解しているのか?笑。

8ヶ月から2歳までの成長はとてつもないスピードだったのに、動画や写真でしか共有できなくて、パパも本当に無念だと思うし、一緒に成長を見届けたかったな〜と言葉にできないほどの悔しさしかない。もう彼らの一瞬一瞬は戻ってこないのだから。

駐妻のメンタル

駐妻のメンタルは、相当強くないとやっていけないことばかりだと思います。

メンタルやられている人もたくさん知っています。

一時帰国した後に、帯同ビザが失効したり、招聘状が発行できず、駐在先国に入国できず、荷物は駐在先に置いたまま、母子だけで実家に滞在している友人を何人も見てきました。(そのまま本帰国になって、リモート引っ越しした友人もたくさんいます(ゴミまで送られてきた〜って嘆いていました)

政府や国の対応に一喜一憂ばかり。幾度となく涙を流しました。

わたしはまだ、実家の母と一緒に暮らしているので、ありがたく暮らしているのですが、引っ越しの荷物を送るのが少しでも遅れていたら、神奈川でワンオペ育児だったし、梱包したままの荷物が送れず、単身赴任先でダンボールと一緒に暮らしているという友人もいる。そういう状況になっていたかもしれないと思うと、他人事とは思えないことばかりです。

本当に、予想のできないことばかりで疲弊しっぱなしで、「なるようになるさ〜」の精神がないとやっていけません。

いつ行くの〜?と聞かれても…

駐在すると報告している友人からは、「いつ渡航するの〜?」と尋ねられることもしばしば。

最初は、「直近3ヶ月後くらい」を答えていたのですが、だんだん、自分たちも本当に行けるのかわからないし、行く行く詐欺になっている気もしてきて、答えるのも億劫になっていた時期もありました。

そもそも、日本の生活に慣れ始めると環境の変化に拒否反応を起こすようにもなってきます。

息子たちにとっては、このまま日本にいればいいのではないか、慣れた環境で過ごす方がいいのではないか。と保守的に考えだしている自分もいます。

1度目の駐在の時は、子どももいなかったし、不安よりもワクワクが勝っていたなぁ〜。それとも、保守的になったのは、歳をとったせいかな…。

コロナが落ち着いたら…

コロナが落ち着いたら、落ち着いたら…と思っていたら、

こんなに時間が経っていた。

比較的、感染者数が落ち着いてきた11月頭。

とうとう主人が1年9ヶ月ぶりに帰国。

とうとう、私たちの宙に浮いた生活に終わりを告げようとしている…。

この1年9ヶ月、楽しいこと嬉しいこともあったけれど、やっぱり辛いことも多かった。

空白の1年9ヶ月。とも言えるかもしれない。

これからの生活がどうなるのか、不安と期待でいっぱいだ。

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